言いたいことは言えない でも言いたくないことはなおさら言えない 言わなくても伝わればといつも思うのだけど

SUNABA文学館


「SUNABA文学館 書物に恋するアートたち。」無事に終了いたしました。 ありがとうございました。  次回もまたよろしくお願いいたします。

2011年6月16日木曜日

5年越しの宿題提出

僕がヌードを描き始めたのにはワケがありまして。。。

1990年代、篠山紀信さんが「ヘアヌード」というジャンルが出来てしまったほどの衝撃的写真集を発表したのをキッカケに、一部の雑誌編集社がそれを歪んで発展させ、「美しい」という形容詞はとても似合わないヌード写真本(いわゆるエロ本。いやグロ本と言えるものもあった)が「ヌードアート」という言い訳を掲げて、大量にコンビニに並び始めた。

「女性とはもっと美しいはずだ」「アートとは美しいもののはずだ」と思った僕は、その年のグループ展作品のために裸婦を描くことにした。正義感というものでは全くなく、どちらかといえば怒りという感じだった。僕はフォトグラファーではないが、真剣にヌードの芸術を追求しているフォトグラファーたちまでが、同じ目で見られてしまうことにも不満があった。
僕は出展作品で女性の身体の美しいラインを抽出して炎のように描こうと思った。
それ以来、今に至っているというわけである。


オーストラリアに出展するようになって、メルボルンで活躍していた日本人の商業フォトグラファーと仲良くなった。
彼の写真の構図、被写体の切り取り方には僕も似たようなことをやるデザインテイストがあったことや、音楽、考え方、いろいろ共通点があって話が合った。というか彼の言葉は勉強になることばかりで、発言の全てをメモ取ろうとしていたぐらい尊敬に値する人だった。(過去形というわけではないぞぉぅ)


1つの印象的な話で記憶に残っているのは、彼は、たとえば次の日に仕事のプレゼンがあるとしたら、その前夜は徹夜でプレゼン方法を考え、予測しうるクライアントの全ての質問の答えも考えて用意しておくと言うのである。
そこで僕は「もし予測していなかった質問をされたらどうするの?」と聞いたら「予測していなかった質問をされたときに答える答えも用意しておく」と言うのだ。
さすがプロだと思った。

話は逸れるが、日本の原発のプロは「想定外の津波が来た」と言うが、国民の命を預かってる筈の原発のプロが「想定外の津波が来ても対処出来る対策を立てていなかった」ことに呆れるのである。

それはさておき
2006年にオーストラリアのアートショウに参加し現地へ行ったとき、そのフォトグラファーの彼が、アートショウ最終日に僕に宿題として「絵の中の女性が何かを見ている視線を与えた絵を描いてみたら?」というようなことを言った。
当時、僕は、冒頭にも書いたように身体の美しいラインを描こうとしていたため、しかも炎のように描こうとしていたから、顔、とくに表情は描かないようにしていた。顔を描くと絵に別の意味が出てきてしまうと思ったからだ。だから、なかなか顔の表情をうまく消化して取り入れることが出来なかったけど、この数年のスランプをくりかえして作風を変えようといろいろ描いていくうちに、今回、視線を持つ表情を描くことが出来た。
宿題を出されていたの思い出したのは、絵が完成した後だったけれど。

5年越しでやっと彼に宿題を提出できる。

久しぶりに彼にメールして、宿題を提出してみた。
彼は「パワーアップしたね」と言ってくれた。

でも彼は宿題を出した事は覚えていなかった(笑)。
「そんな上から目線なことを言ったんですか?」と 恐縮していた(笑)
















当時、彼の夢は「ル・コルビュジェのイスが写真の前に置いてもらえる作品を撮ることだ」と言った。 僕は「ジャズが似合う絵が描きたい」と言った。

なんか、今回は、かっちょいい日記になったぜ。
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