言いたいことは言えない でも言いたくないことはなおさら言えない 言わなくても伝わればといつも思うのだけど

SUNABA文学館


「SUNABA文学館 書物に恋するアートたち。」無事に終了いたしました。 ありがとうございました。  次回もまたよろしくお願いいたします。

2011年3月30日水曜日

3月の空を見上げて想ふ

もうすぐ4月になっちまう。。。。




奇跡はありますか?

奇跡が起きない限り、絵が間に合いそうにありません。。。。

でも

やりたいことがある、というのは、幸せなことですな。

やりたいことを 「やり続ける」 というのは 大変なことですが

やっぱり 幸せなことですから

がんばりますよ

けっこうイイ人生ですよ





いまんところ

2011年3月29日火曜日

-2+2

今日は描きかけの2枚を諦めた。そして新しくキャンバスを2枚張った。
5月の出展は間に合わなければ最悪1枚でもいいや、と思っていたけど、1枚の出展さえも危うい。。

輸送事情で5月の搬入を4月末にして欲しいと連絡があった。

ますます危うい。

2011年3月28日月曜日

真夜中の

太平洋で溺れています。進んだ方がいいのか戻った方がいいのか、岸辺さえも見えない。

2011年3月24日木曜日

早く帰りたい

仕事を終えて早く帰って絵が描きたい。

こういう気持ちは 3年ぶりくらいかな。もう忘れた。

どうせ帰っても、キャンバスを睨むだけなんだけどね。

2011年3月22日火曜日

目の筆

絵の制作にかける時間の半分はキャンバスの白い部分を睨んでいる。

どんな風に描こうかと考えながら、目を筆にして描いていく。

頭の中に下絵が出来ると描いてみる。

そして続きをまた睨みながら目で描いていく。

なかなか目の筆も上手く描けないので、かなりの時間、睨むことになる。

2011年3月15日火曜日

終わらないモノは無い

僕は、ツラい状況におかれている時、いつも「終わりの来ないものは無い」と思うようにしている。そう思うと気が楽になりツラさが半減する。 なぜなら過去のツラかった事を思い返してみれば、数時間後、数日後、いつものように笑っている自分がいるからだ。


だから今のこの地獄のような日々もきっと終わりが来るはずなのである。

後にこの日記を読み返して、何のことを書いているか分かるように記しておくけれど「東北地方太平洋沖地震」のことです。

実は、僕はその大地震の起きた当日、仙台と岩手に旅行してる予定でした。
でも仕事の都合や個人的なスケジュールなどいろんな理由で早いうちに断念しましたが、それでも前日まで「行きたいんだけどなぁ」と思ってました。普段の自分なら仕事そっちのけで行ってしまったりすることも十分ありえる僕であるけど、なぜか今回は思いとどまった。
そしたら地震が起きた。
もし行っていたら、たくさんの人に心配と迷惑をかけたはずです。

僕は生かしてもらったって思った。

不幸な目に遭ってしまった人のためにも、ちゃんと生きなきゃと思う。せめて自分のことだけでもちゃんとやらなきゃ。

テレビのニュース漬けになり、被災者の事を考え、家で職場で節電を心がけ、家での防災準備も行い、アンチ日本の人たちの心ないネット発言があまりに多いことに落ち込み、しかし強く生きている被災者に勇気づけられ、そんなこの数日ではありますが、そればっかりではなく、自分がしなければならない事をおろそかにしてはいけないと思っています。

ちゃんと絵も描いています。順調とは言えないけど描いてます。

5月の出展に向けて。

岩手と仙台の知り合いの無事が次々と確認できてホッとしている。あと数人はまだ確認できていないけど、絶対大丈夫だと思う。

2011年3月10日木曜日

頭はぐるぐる 胸はもやもや

常に何かを考えていて頭の中がうるさいし胸もモヤモヤして疲れる。

オーストラリア初参戦で絵が売れたり、完売した年があったり、前の年を覚えててくれて次の年に僕を目当てでリピートしてくれる人が居たり、そういう順調過ぎた時期を過ぎて、そのうち、お客の好みとのズレがだんだん出てきて、全く売れなくなり、自分がベストだと思ってる作品を、どう軌道修正すればバイヤーの要求に応えられるのかを考えるようになって、ジタバタしてるうちに芯がブレてしまい、どんどんズレて、乱気流の中で操縦出来ない飛行機のようになってしまって、自分で自分の絵が良いと思えなくなり、描くことが楽しくなくなり、筆も持つ気力が起きなかった、この数年。

「塩からい」というなら、塩加減を少なくすればいいけれど、絵の場合、単に色を加減すれば良いと言ってもらえるわけでもないし。。。

でも「自分でスランプと決めているからスランプなんだ」と思ったら、なぜか筆を持てるようになった。

参加しているのは「The Smart Way to Buy Art」というサブタイトルの、出展者にとっては「売ること」が目的のアートショウだから「どうしたら売れるか」という軌道修正をするのは間違いだったとは思わないけど、この経験から今、その「描けないこと」のツラさに比べたら「売れないこと」も「失敗」も怖くなくなった。「売れない」から「描けなくなった」ので、まだなんとも言えないけど。



頭の中は常にグルグル何かを考え、胸はモヤモヤして疲れる。

絵の中にこのグルグルやモヤモヤの気持ちを
みんなまとめて詰め込むことができればいいんだけど。。。
画風がまだ定まらなかったりして手探り状態で。。。
スッキリしないのだ。でもやってみよう。。。。
きっと大丈夫と思う。。。  

2011年3月7日月曜日

そこから「美」が生じるのを見せたい

「演奏(プレイ)」という言葉には「遊ぶ」という意味もありますが、実は大変厳しい仕事です。そこから「美」が生じるのを見せたい。それこそ音楽表現の前提なのです。

とカラヤンがDVDの中で言っていた。

オーケストラメンバーと1音1音確認しながら作っていく作業は凄いと思った。コンサートは発表の場で、そこに辿り着くまでの作業が指揮者の本当の作業なんだと思った。芝居の演出家のようだ。

若手の指揮者に指導するシーンでは、なんと「運命」の第二楽章の1フレーズをカラヤンがピアノで弾くのだ。
ベートーヴェンはピアノの人だから作曲はピアノでしたに違いないのだ。その瞬間を聴いたような気がしてハッとした。「運命」のピアノバージョンなんて初めて聴いたから余計ビックリした。




演奏シーンはまるでディズニーの「ファンタジア」のように美しくて見入っちゃった。といっても「ファンタジア」は所々しか見たこと無いんだけど。

この演奏は映像作品用に演奏されたものなので、ライブ感はあまり無かったけれど、その分、カット割りが計算されてたりアングルが凝ってたりで面白かった。2度も見てしまったよ。

もうちょっと生きててくれれば生カラヤンを見に行きたかったよ。

このDVDを見てて、絵においてもっと荒く描く部分と細かく描き込む部分が見えてきた気がした。よい説教になりました。
m(_ _)m はは〜っ



そのあと勢いで「敬愛なるベートーヴェン」を見てしまった(笑)。映画館で見たときはセリフ1つ1つが凄くて感動したのに、今回、カラヤンの後ではさすがに負けたけど。
映画の最後で病床のベートーヴェンが写譜師に言葉でメロディを伝えて採譜してもらうシーンでは、最初、音階を伝えているうちに段々と情景として伝えていくように変わっていくところは凄いんですのよ。



次はこれを買おうと思う。
小澤征爾&ウィーンフィル ニューイヤー・コンサート2002 [DVD]ちょっと正月気分になれるからねw


この人の「運命」はいつか見に行けるかな。長生きしてください。

2011年3月2日水曜日

2つの復活


先日、シュレッダーに無惨な負け方をしたペインティングナイフ。ごめんね(涙)


だが、君を見捨てなかったよ。



ど〜だど〜だ!
今日、職場でグラインダーを使ってギュィ〜ンと削って、オイルストーンで磨いて
復活!

昔の形は必要なので、新しいのを買う予定だけど

君は君で、ちゃんと使うよ。



「復活」と言えば、師匠!

このブログの第一回目で「決別」した絵

僕は復活させるかもしれません。

ちょっと塗り足してみたら、新しい感じで、少し上手く塗れてるので。

自分の子供と、そう簡単に決別することは出来なかったが、まさかこんなに早く復活してくるとは、奴もやりよる。。。。

それより、先日より新しく描いてる2枚のうちの1枚が上手くいってない…………

 子供をたくさん持つと、難儀よのぉ。